一絃琴 Ichigenkin 清虚洞一絃琴・宗家 峯岸一水

SEIKYODO-ICHIGENKIN
Issui Minegishi

清虚洞
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清虚洞一絃琴(せいきょどういちげんきん)

一枚の桐の板にたった一本の絹の糸。一絃琴はその名の通り、一本絃の琴です。
平安時代 日本後期巻八に崑崙人が三河の国に漂着し、一絃琴を携えていたと言われています。但し、この一絃の琴が現在の一絃琴と同じかどうかはわかっていません。在原行平が須磨に左遷された折に弾いたという伝説から「須磨琴」とも称されていますが、史実ではないとされており、中国よりの伝来は平安の頃とも言われています。そのはじまり、伝来は諸説あり、どれも確証のあるものではありません。
江戸期、一絃琴中興の祖とよばれる金剛輪寺の僧、覚峰律師以降、一絃琴は東洋哲学的な側面を持ち高僧・貴族・武士・文人達によって弾き継がれてきました。一絃琴の歴史でも記載しましたが、幕末にあっては武士、文人、貴族、高僧といった人々に盛んに演奏され、勤皇の志士たちが一絃琴の稽古にことよせて討幕の密議を交わしていたことは有名です。
武士、文人たちは一絃琴をおもに精神修養として演奏していました。「人に聴かせるものではなく自分の心のために演奏するもの」だったのです。清虚洞一絃琴は一絃琴演奏家、演奏団体の中にあって、特に琴学に基づく精神性を重んじています。また一絃琴音楽を過去の遺物とすることなく、現代に生きるものとして広げるため、伝統のよさを大切にしながら新しい試みなどにも取り組んでいます。清虚洞の清虚とは「心が清らかで私心がないこと。月の都にあるといわれている宮殿」という意味です。

お問い合わせ:ichigenkintokyo@gmail.com
2016年秋以降、ワークショップ形式のグループレッスンも始まる予定です。
詳細は Facebook にてお知らせします。